人生に迷ったら
人生に迷ったら、自分の気持ちを外に出して、整理してみよう
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生きるとは
2020年、思いもかけずに世界中を新型コロナウィルスの猛威が襲い、私達日本人も自粛生活を余儀なくされました。中には実際に新型コロナウィルスに感染したり、家族や会社に感染者が出たりして、大きく生活が変わった方もいるかもしれません。
こうした生活を多かれ少なかれ強いられる中で、誰もが自分の人生についてや「生きる」とはどういうことかや死について考えることがあったのではないでしょうか。
私は「人はなりたい自分になる」という前向きな言葉に力をもらって、自分の人生をクリエイティブに、近い将来遠い将来の両方を思い描きながら、では現在をどうするか考えて生きてきました。
しかし、新型コロナウィルス蔓延のような予想だにしない状況に見舞われ、毎日、感染者数や死者数が発表されるような日常の中で、人はこうなりたいと願っても、いつでもその通りになるわけではないことを痛感したのです。
人が生を受け、この世に誕生し、生を全うして死に至るまで、どのように生きるのが人として正しいのか、考える時間を与えられたような気がしました。
そんな思いを抱いたのは私だけではなかったようで、20代~30代のAYA世代と呼ばれる人たちも真剣に「生きる」ということに向き合われたようです。
人が生きる時、「生きている」「生きる」「生きていく」では人生への取り組み方が少し違います。
「生きている」とは、チコちゃんに「ボーッと生きてんじゃねえよ!」と怒られるような、自分の人生を流れに任せ、来るものは拒まず、去るものは追わず、あまり深く真剣に考えることなく生きていることを指しています。
「生きる」とは「生きるのに精一杯で他のことはあまり考えられませんでした」というような言い方が当てはまるでしょうか。目の前のことには一生懸命取り組むけど、先の展望や目標やなりたい自分があるかといえばそうでもないという生き方です。
そして、「生きていく」と呼べる生き方は近い将来や遠い将来を見据えて、現在、なすべきことを自分で選択し、納得した上で努力することができる生き方といえるでしょう。そうした生き方には夢や希望が持てますし、人生をクリエイトして、楽しむ余裕も生まれます。
たった一度の人生だからこそ、「自分は自分の人生を生きていく」と呼べるような人生にしたいものです。
ただ、長い人生には思うに任せない挫折を味わうことも
気や事故に遭うことなども考えられます。
そんな時こそ、心の体幹が鍛えられていないと、心が折れ、いわゆる「心がやられてしまう」ことになるのです。
心の体幹を鍛えるとは、自分の意志と意図を明確にして、主体的に「自分を生きていく力」をつけていくことです。
迷ったときには一度立ち止まって、自分を見つめ直し、観察し、心の声に耳を傾けることが必要です。
2
人生の築き方
人はどこの誰の元に生まれてくるか、親を選んで生まれてくることはできません。
どこの国、どんな親、どんな環境かで、生まれ落ちた時からその人は運命づけられています。
人は成長するにしたがって自我が芽生え、ものごころつく頃からあまたの選択を繰り返しながら、自分の人生を1日1日と築いていきます。その時に養育に関わった人、もちろん最大の影響は母親、次に父親、周囲の先生や友達、兄弟姉妹などの言動から多くを学び吸収して成長していきます。
子どもはこうして知らず知らずのうちにスキーマと呼ばれる、いわゆる価値観やこだわり、マイルールなどを身につけ、思春期を経て大人になります。
大人になる過程で、母親を筆頭にした周囲の人々がどのように関わったか、または関わらなかったかは、その後のあなたの「人生の築き方」に多大な影響を及ぼし、人生の選択肢ごとに個人を特徴づけることになるのです。
人生は選択の連続です。「今日、何を着ようか」「何を食べようか」というような小さな選択から、学校・仕事・結婚・出産などの大きな選択まで、ありとあらゆる選択を繰り返して「人生を築いていく」のが「生きていく」ということです。
「人生を築く」という言葉には、石垣の石をひとつひとつ組んで、お城の土台を作り、その上に美しく堅牢なお城を建てるというイメージがあります。
人生は1日では成しえない何十年もかかって自分らしく納得がいく生き方を模索するということなので、「築く」という言い方になったと考えられます。
学生時代は3年おきか6年おきかに節目がきて、その時の自分の学力や成績に応じて、次の学校を選んできたと思いますが(もちろん浪人するといった選択もあるでしょうが)社会人になる時は、より深くて大きな選択に悩んだのではないでしょうか。職業の選択はとても多岐にわたりますし、思い描いてもすぐなれるものと簡単にはなれないものがあるので、望んだからといって必ず望みがかなうわけではありません。
人生の一番大きな挫折が、まず、ここで来たという人も少なからずいると思います。
そこでどんな道を選択するのか、そこにその人の「生きていく」姿勢が問われています。
何が正解というわけでもありませんし、周囲の状況といった要素もありますが、何か壁にぶつかった時、その時こそ「人生の築き方」とじっくり取り組み、考え、答えを導き出す時なのです。
3
自己肯定感
人は生きている長い年月に何度も失敗したり、思うに任せない結果を招いたり、人から叱責されるといった苦い経験をするものです。
その度に大いに落ち込み、落胆したり、自暴自棄になったりすることで、自己肯定感が下がってしまいます。
自己肯定感とは読んで字のごとく、自分を肯定する力、自分を認めてあげる力、自分を愛する力を指しています。
自己肯定感の高い人と低い人では、自ずとその人の人生の充実度やハリなどが違ってきますので、自己肯定感が下がっているなと感じた時には、どうやったら自己肯定感を上げることができるか考える必要があります。
自己肯定感が下がってしまうと、免疫力も下がり、元気もなくなり、人と会うのが億劫になったり社会と接点をもつことができなくなるので放置してはいけません。
ふだんから自分で自分のことを観察したり、感じたりする習慣のある人は、自分が今、凹んでいるなとか、イライラしているなとか、悲しいなといったマイナスの感情に気づくことができます。
巻き込まれてしまって渦中にいる人はマイナスの感情に心が支配されてしまい、いつの間にか自己肯定感がダダ下がりになっていることに気づくことができません。
本当なら、何か嫌なこと、悲しいこと、イライラすることなど、ストレスのかかる出来事があった時にはいち早くそこに対してストレスコーピングといって、ストレスを軽減させるような対策を講じて自己肯定感が下がってしまうことを防がなければいけないのです。
自分を認めていない人、自分を愛せない人は他の人を認めたり、愛したりできるでしょうか。
対人関係が上手くいかないとか、コミュニケーションがうまくとれないなど、相手がいることで悩んでいる場合でも、ご自分自身に問題があって、ご自身がグラグラ揺れていることはとても多いのです。
自己肯定感の高い人は、ご自分のことを客観視する達人です。
もうひとりの自分が常にいて、ご自身のことを分かっていて、人生のナビゲーターだったり、アドバイザーだったりします。また、時には、慰めたり、共感したり、激励したり、はっぱをかけたりする存在です。
そんな相棒をうまく育てることによって、自己肯定感はいい状態に保たれます。
うぬぼれることなく、突っ走ることなく、ある程度謙虚に、そして、事実をしっかり受け止め、見極め、そして納得して「人生を生きていく」
そんな自己肯定感の高い人生を歩んでほしいと筆者は願っているのです。
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